2008年 03月 31日
アムステルダム経由バルセロナ行き |

ヨハン・クライフ率いるドリームチームのゲームを初めて観たのは、
4連覇を賭けたリーガ・エスパニョーラ93-94年シーズン最終節、
セビリアとの一戦だった。
それまではサッカー雑誌の記事を読むことでしか知らなかった、
FCバルセロナの攻撃的で華麗なサッカー。
録画中継ではあったがテレビ大阪で放送されたこの試合で
私はそれを眼の当たりにし、すっかり魅了されてしまったのだった。
舞台は勿論、あのカンプ・ノウ。
ラウドルップ、ロマーリオ、ストイチコフが並ぶ、超弩級の3トップ。
当時存在した外国人選手枠の関係で
大砲ロナルト・クーマンをベンチに置いてはいたが
若き司令塔ペップ・グァルディオラ、
主将のホセ・マリア・バケーロ、
フェレール、ナダル、セルジ、スビサレータ…
そして細身の体をスーツに包み、ベンチから
例のやや気難しそうな表情で指示を送る指揮官クライフ。
果たしてスリリングな展開の末にゲームは
ドリームチームの美学の集大成と言える内容となった。
激しく点を奪い合い、相手以上にゴールを決めて突き放す。
Barcelona 5-2 Sevilla.
あまりの見事な勝ちっぷりに女神が微笑んだのか
前節で初の優勝に王手をかけていたガリシアのクラブ、
デポルティーボ・ラ・コルーニャが最後の最後で引き分け、
バルサに4年連続のチャンピオンの座が転がり込んできた。
だが4日後の欧州チャンピオンズ・リーグ決勝、
絶対優勢を伝えられたアテネでの試合で
バルサはACミランの前に屈辱的な大敗を喫する。
Milan 4-0 Barcelona.
わずかな間にドリームチームの栄光は暗転した。
監督を“独裁者”となじり、反旗を翻したラウドルップ、
そして悪童ロマーリオもチームを去った。
クライフはチーム再建に着手し、
ハジ、フィーゴ、ポペスクらの外国人、
ロジェールやオスカール、セラーデスら若手を起用、
ドリームチーム2編成を目論むが
数年後、ヌニェス会長との確執の末にクラブを追われてしまう。
あれから長い時間が過ぎた。
時代は移り、ラポルタ現会長とクライフ門下生の一人
フランク・ライカールトの手により、
今再びバルサは黄金時代を迎えている。
2月の末にそのバルセロナへ行ってきた。
昨年来、私は野菜作りを生業にしている。
普段まとまった休みが取りにくい代わりに
寒い冬の農閑期に作業の手を休め、農業見聞も兼ねて
比較的温暖な地中海・カタルーニャ地方に赴き
Barcelonaの街を訪れて彼の地でBarçaのfútbolを堪能しよう、
出来ればValenciaやVillarrealへも足を伸ばしたい…
ふとそう思い立ったのだ。
日本〜スペイン間には首都マドリッドへさえも、直行便が無い。
バルセロナまでは飛行機を乗り継がなければ到達できない。
年末頃からネットで関空発の航空便と格安チケットを
くまなく検索しつつ、旅のスケジュールを練っていった。
ミラノを経てバルセロナへ、という航路も考えた。
あの CL決勝をはじめ、バルサvsミランの名勝負の数々を想起して
私の気持ちは高揚したが、バルセロナ到着が深夜になるので避けた。
何せ初めてのスペイン旅行なもので
悪名高いスリの被害などに遭っては、と慎重を期したのだった。
厚い雪に覆われたシベリアの上空をKLMオランダ航空便は西へと向かう。
人の営みの気配が全くない、静寂の白銀世界が果てしなく続く。
永遠に続くかと思われるほどの長く単調な飛行の末に
やがて眼下に氷に覆われた無数の白い窪みの群が現れる。
フィンランドの湖水地方だ。ようやく街の姿が見え始めた。
その後スカンジナビアとユトランド半島を通過し北海をかすめた飛行機は
寒々とした平坦な農地が広がる風景を飛び、そこで高度を下げた。
現地時間午後4時前。EUの空の玄関=スキポール空港に到着。
EUの統合が進み、事実上国境は存在しなくなり
自由に域内を往来できる時代ではある。
だがお隣のドイツやベルギーなどとは違い
スペイン〜カタルーニャ地方=南欧の気候・風土は
勤労な人々の手で拓かれていった蘭の国土の様子とは
傍目にも全く異質に映る。
70年代の昔。
そんな異邦へと渡ったクライフとリヌス・ミケルス。
それぞれオランダ代表チームの主将と監督として
トータル・フットボールを創造する事になる二人が
バルサへと活躍の場を移し、彼らの持つ進取の気風と革新性が
バルセロナの街のそれと見事に符合した。
それ以来このスキポール空港からは幾人ものオランダ人が
地中海に面したカタルーニャの都へ飛び立っていった筈だ。
ヨハン・ニースケンス、ロナルト・クーマン、デ・ブール兄弟、
パトリック・クライファート、フィリップ・コクー、
ファン・ブロンクホルスト…そしてフランク・ライカールト。
アムステルダムとバルセロナを結ぶこの一本の航空路線が
バルセロナの、スペインの、そして欧州のサッカーシーンに
どれほど大きな役割を果たしてきた事だろう…。
凍てつくシベリアの大地を飛び超え、スキポール空港へ。
そこから先、アムステルダムからバルセロナへは
攻撃的フットボールの粋を運ぶ血流が通じている。
更にその流れは地下水脈となって
美しいフットボルを尊ぶ民が住むスペイン全土を
回り巡っているのではないか…。
今や伝説になったクライフとその時代に想いを馳せつつ
私はバルセロナへと向かう飛行機に乗り込んだのだった。


クライフ 選手時代の勇姿。
カンプ・ノウ内にあるミュージアムの展示より
■
[PR]
▲
by footle
| 2008-03-31 22:42
| en España