2010年 06月 14日
ドルトムントの記憶ー2006.6.22 |
酔っぱらって上機嫌なそのオヤジは、テレビが中継している試合などそっちのけで、私にこの大会の優勝チームが地元ドイツになるという、予言めいた法則を説明してくれる。紙にペンで数字を記しながら、途中で訳が分からなくなって苦笑。その勝利の数式については私も何処かで聞き覚えがあったが、お互い酔いが回った鈍いアタマには簡単な足し算引き算も難問と化した。兎に角今回はドイツが勝つと予め定められているのだ、という事らしい。"It's a logic!" 私がフォローを入れると、オヤジは我が意を得たりとばかりに、ニヤリと笑った。
ここはドルトムント。中央駅前のとあるスポーツ・バーの店内。画面の中で相対しているのは青と黄色のユニフォーム。W杯ドイツ大会。決勝トーナメント進出の、限り無く微かな、一縷の望みを託して日本代表は、グループ・リーグの第3戦を優勝候補筆頭・ブラジルと闘っていた。
逡巡した後、やはりチケットは無くとも現地まで応援しに行こうと決め、日本代表のベースが置かれたボンを経由し、ドイツ北西・ルール地方の工業都市、そして強豪ボルシア・ドルトムントのホームでもあるこの街までやってきたのだった。パブリック・ビューイングでの観戦を目論んでいたものの、電車の乗り継ぎに手間取り、ドルトムント中央駅に着いた時には既に試合開始の時刻を過ぎてしまっていた。PV会場までの時間が勿体ない。仕方無く、駅前広場近くで目に留まったスポーツ・バーに飛び込んだという訳だった。
他にも日本人の姿が。何故か旦那と別行動の女性(後で合流)と、オランダにある某巨大電器メーカーの社員だという男性と、中年男性がもう1人。一緒にテレビを観ながら応援する事に。すぐ側で談笑していた常連らしき地元の男性客達と交わってビールを飲む。饒舌で、大笑いしながら軽口を叩きあう、愛すべきオヤジども。堅物の印象だったドイツ人が馬鹿丸出し。酒呑みはどこでも一緒だ。
前半の半ばが経過した頃、三都主が左サイドから斬込み、意表をついたマイナス気味のパス。玉田が左足を一閃すると、ボールは次の瞬間、ゴールに突き刺さっていた。ブラジル相手に先制点!…嘘じゃないのか。ドイツオヤジ達の表情も変わった。なかなかやるじゃないか。彼らの口からは日本の闘いぶりを称讃する言葉が。どうだ、満更でもないだろう?こんな誇らしい気持になったのは今大会初めてではないか。夢見心地の時間が流れた。
しかし夢のひとときは長くは続かなかった。あと少しで前半が終了しようとする頃、ロナウドに痛恨の同点ゴールを許す。そして悪夢の後半。気落ちして動きも落ちてきた日本のゴールに次々とセレソン・ブラジレイラの猛者が襲いかかる。
1-4。微かな望みを木っ端微塵に打ち砕かれ、空しく試合終了を待つだけの時間。何時の間にか周囲の試合を眺める視線は消え失せ、まるで何事も無かった様に、皆それぞれおしゃべりに興じている。例のオヤジ達の姿も見失った。ドイツ優勝の法則を説いていた彼を見つけ、再び声をかける。一瞬、なんだまだ居たのか、という表情。多少酔いが治まってきたのだろうか、さっきよりも言葉に若干の冷静さが感じられる。「グッバイ、ジャパニーズ。ここドイツは君たちにとってはよい処ではなかったようだね…。」
冗談めいてはいたが、確かに憐れみのこもったひと言をかけられて、今更ながら私はWORLD CUPにおいては、日本はアウトサイダーでしかないという冷酷で厳然たる事実を思い知らされたのだった。他のオヤジ達からも慰めの言葉をかけてもらったものの、私の心は暗澹としていた。
日本vsブラジル試合詳報
帰りの電車の中はごったがえしていた。席が埋まっている為、仕方無く通路に溜まる日本人サポーターの群れ。と、その時だった。「みんな、少しずつ場所を空けて。入れない人がいるから通してあげよう。」それは明瞭で凛とした日本語だった。正確な言葉は忘れたが、その様な内容だった。振り向くと、ドイツ代表の白いシャツを着た190cmはあろうかという長身の若者が立っていた。どこかジュリアン・レノンを連想させる顔立ち。彼は車両に入りきれないでいた人たちを誘導すると、私のすぐ側のつり革に捕まった。しばらくした後で、私は思い切って彼に話しかけてみた。デュッセルドルフに住む、ドイツと日本のハーフの青年だった。東京に暮らした時期もあるという。日本代表を応援しにやってきたんですけどね。残念です…。流暢な日本語を話す彼の声にも悔しさが滲んでいるようだった。
その青年とどんな会話を交わしたのか、今となっては殆ど憶えていない。本場を遠く離れた極東の地で開催された日韓大会の後、“リアル”ワールドカップを体験しに来たんだ、と私は彼に言ったように思う。お世辞にもフットボール強国とは呼べない日本と韓国を舞台に、優勝候補が軒並み早々と敗退してしまった2002年の大会をどう位置づければいいのか。クライフとオランダのトータル・フットボールが席巻し、ベッケンバウアーとゲルト・ミュラーの地元西ドイツが栄冠を掴んだ、あの74年大会が行われた欧州の中心地まで趣き、私はその答えを見つけたかったのだ。
ドイツでのW杯。ここで見聞した全てを書き出す事は出来ないけれど、いろんな意味で、サッカー=フットボールを取り巻く空気が違う、と感じた。私が帰国した後、決勝トーナメント以降、凌ぎを削る欧州列強の闘いは予想した以上に熾烈を極めた。いいところ無くグループ・リーグで沈んだ日本は、いわば蚊帳の外だった。どうにももどかしく不甲斐なかった、2006年の代表チームの闘いを振り返る度に、私はあの試合後に出逢った青年の日本語の、毅然とした声の調子を何故か思い出すのだ。
アフリカ大陸南端の地・南アでのW杯はどんな大会になるのか。どこで開催されようがW杯はW杯。ワールドカップに本物も偽物もないに違いない。幾多の困難や不平等が存在するのを承知の上で闘うのがフットボールだ。実力どおりに事が運ぶならたやすい、が、そうとも限らない。勝ったものこそが歴史に名を刻む。或はそのように考えることも出来る。フットボールは人生の様に奥深い。
今度こそ日本代表は力を尽くして闘えるのか。まもなく、カメルーン戦キックオフ。
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by footle
| 2010-06-14 07:29
| 2006GERMANY